2013年4月30日火曜日

アサーティブネス


 前回は壊れたレコードというテクニックについて説明しました。

 これは、主張したい言葉を繰り返すことにより、相手に自分の考えを納得してもらう方法です。

 アサーティブネスというコミュニケーション手法の中の技法の一つです。

 順番が前後しましたが、このアサーティブネスが今回のテーマです。

 まず最初にアサーティブという言葉の意味ですが、これは「自己主張すること」です。

 こういうと、私たち日本人にとっては、出しゃばるとか我を通すとか、あまり良いイメージのを持たない姿を思い浮かべるかもしれませんね。

 でも、この言葉が真に意味するのは、自分を尊重し、相手も尊重することです。

 これがどうして「自己主張すること」につながるのでしょうか?

 それは、多くの人のコミュニケーションの仕方のためです。

 色んな人のコミュニケーションの方法は、大きく分けて四つに分類できます。

 各々について述べると、

1 攻撃的コミュニケーション
相手の意見や考えを過小に見せて、自分の優位を主張し、相手を従わせる。

2 受動的コミュニケーション
自分を卑下して、相手の言うがままに従う。引っ込み思案で受け身。

3 作為的コミュニケーション
正面切って人と対決せず、影で悪口を言ったり持って回った嫌みをいう。

4 アサーティブなコミュニケーションです。
相手を尊重した上で、自分の意見、気持ちを適切に表明する。

 上記の1〜3は、表に出てくる態度は異なりますが、いずれも自分に自信を持っていないことからこのようになります。

 そのために、相手を軽視して相対的に自分を強く見せようとしたり、正面から人と向き合うことを避けようとするのです。

 そして、その結果として一方は他方に傷つけられ、傷つけた方も後味の悪い思いを持ってしまいます。

 こういったコミュニケーションを改め、各々が自分も相手も尊重し、意見を忌憚なく言えるようにする・・・これがアサーティブと呼ぶ意味と思います。

 それで、このアサーティブネスなコミュニケーションを身につけるためには、上述した通り、自分自信に誇りを持ち、認める意識を持つ必要があります。

 自分を尊重することにより、他人も尊重する心のゆとりが持てます。

 自分も他人も尊重するということは、具体的には、お互いの権利を認めあうことに他なりません。

 では、コミュニケーションにおいて、お互いに認めあうべき権利とはどのようなものでしょうか?

 アサーティブネスにおいては、以下の11個が提示されています。

1 私には、日常的な役割にとらわれることなく、一人の人間として、自分のための優先順位を決める権利がある。

2 私には、能力のある対等な人間として、尊敬されて扱われる権利がある。

3 私には、自分の感情を言葉で表現する権利がある。

4 私には、自分の意見と価値観を表明する権利がある。

5 私には、自分自身で「イエス」「ノー」を決めていう権利がある。

6 私には、間違いをする権利がある。

7 私には、考えを変える権利がある。

8 私には、「わかりません」という権利がある。

9 私には、ほしいものやしたいことを求める権利がある。

10 私には、他人の悩みの種を自分の責任にしない権利がある。

11 私には、周りの人からの評価を気にせず、人と接する権利がある。

 当たり前のようにも思えるかもしれませんが、よく読み込んでみると、なかなか含蓄のある言葉ですね。

 特に11番目が重要です。

 私たちは意識的、無意識的に人からの評価を気にしてしまいがちです。

 これがいい方向に働くこともありますが、多くの場合、アサーティブでない方向に働いてしまいます。

 とはいえ、人からの評価を気にしないでいるのも難しいですね。

 でも、例え悪い評価を受けたからと言って、死刑になる訳でもなければ村八分にされる訳でもありません。

 普通に、日常生活は続いて行くわけです。

 まずは、そのことに気付いて人の目から解放されることがアサーティブになる第一歩です。

 その他の権利についても、一つ一つ自分なりに考え、理解するようにしましょう。

 ただし、頭で理解していても、実際に身につけるのは一朝一夕にはいきません。

 これを書いている私自身、アサーティブとはかけ離れたコミュニケーションをとることが多々あります。

 お互い、機会のあるたびごとにこれらの言葉をよく思い出し、少しでもアサーティブに近づけていけるように、目指していきましょう。

 以上、今回は心構えのような話に終始してしまったので、次回はアサーティブの具体的な技法について述べて行きたいと思います。

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